時計の文字盤で、12の次は1にもどる。今日の1時と明日の1時は、盤のうえではおなじ場所にある。でも、おなじ時間ではない。円だけでは「めぐってきた」ことが描けない——そこで、高さがいる。
この作品は、ひとつの螺旋である。真上から見おろしているあいだ、世界は完全な円で、1と13はおなじ点に重なっている。指でかたむけたとき、円がじつは螺旋を真上から見た影だったことがわかる。十三番目の真珠は、一番目のちょうど真上——一周ぶんの高さをもった、あたらしい1。そして、さらにまわしきると裏の眼——真下から見上げるおなじ螺旋は、さかさにめぐって見える。螺旋はひとつ、眼がふたつ。どちらの円も、おなじ真実の影である。まわしつづければ、眼は一回転して、はじめの空へ還ってくる——観る者の視点もまた、円環なのだ。
12は、世界をひと巡りに変える器。
13は、ひと巡りしたという記憶をもった、つぎの1。
ふたつをつなぐと、時間は円ではなく、螺旋になる。
越境——12の外へ出る。半音を12歩あるくと、十三番目で高いドにふれる。この作品の音は、その一歩を鳴らしつづける。
繰り上がり——一周した、という情報を次の階へもってゆく。光がドの柱をまたぐたび、めぐりの数がひとつ増える。
補正——螺旋には、金の真珠が7つ埋まっている。月は一年に12.368回みちるから、12か月の暦は毎年11日ずつ自然からずれる。そこで19年に7回、十三番目の月を足す。12×19=228に、閏の7をたして235——19年でぴたりと環がとじる(メトンの環)。13はエラーではない。ずれを癒して、暦を自然へ帰す再同期である。
中心——同じ大きさの球に、ふれられる球はちょうど12個。中心の1をあわせて13。この顔だけは、螺旋の頂の北辰にふれると、すこしだけ扉がひらく。つづきは、つぎの作品で。
誕生日をひとつ入れると、螺旋はその人のものになる。生まれた日から今日まで、毎年おなじ日が、一段ずつうえに積みあがってゆく。去年の誕生日と今年の誕生日は、盤のうえではおなじ場所、螺旋のうえでは一段ちがう。おなじだが、おなじではない——それがめぐるということ。
音は「シェパード・トーン」——オクターブちがいの同じ音を何層もかさねた音色で、のぼりつづけているのに、いつのまにか元の高さへ還っている。音の心理学が実際にもつ、聴覚の螺旋である。疾くのときは、ドの柱だけが鳴る。いつまでも高くなりつづける、おなじ音。