同じ大きさの球をひとつ置く。その球に触れながら、たがいに重ならない同じ大きさの球を、まわりに何個置けるか。答えは12。数学ではこれを、3次元の接吻数——kissing number——と呼ぶ。
ふしぎなのは、12個ならべてもまだ余白があることだ。この12個は、中心に触れたまま、たがいの位置をすべって入れかわることさえできる。だから1694年、数学者グレゴリーは「13個いけるのではないか」と考えた。ニュートンは「12まで」と言った。答えが証明されたのは、1953年——260年後である。
隙間はある。
けれど、十三個目は入らない。
余白と不可能が、おなじ場所に住んでいる。
くちづけ——球がひとつずつ、闇から漂いよる。ためらい、そして触れる。触れた瞬間に半音がひとつ灯り、中心の球がちいさく息をする。十二個目が触れたとき、殻はひとつの全体になる。球をつかんでころがすと、触れたまま動けること——遊隙——が手でわかる。球どうしが触れあうたび、くちづけの光が生まれ、その球の音が鳴る。
グレゴリーの幽霊——しばらくすると、十三個目が招かれざる客としてやってくる。輪郭だけの球は、じぶんで殻のうえをすべり、いちばん広い隙間を探しつづける。つかんで押し込むと、12個は場所をゆずって動く。動くのに、どこまでいっても入りきらない。画面の数字は、いま一番惜しい場所で「あと何度足りないか」の実測である。強く放り投げれば幽霊は闇へ帰る——でも、問いはまた来る。
中心の眼——奥へ潜ってみてほしい(スクロール、またはピンチ)。視点が殻をくぐり、中心の球のなかへ。世界が反転して、十二の球があなたの空になる。そとから見れば、12のむこうの13。うちから見れば、まわりに12、中心に1、あわせて13。13は外にはみ出た数ではなく、12をひとつの全体にする中心かもしれない。十二使徒とひとり、円卓とひとり——中心とまわりの型は、文化のなかで何度も編まれてきた(歴史的な因果ではなく、構造の相似として)。
接吻数が証明されている次元は、まだ少ししかない。
私たちの宇宙の12は、この梯子の三段目にすぎない。そして5次元、6次元、7次元の答えを、人類はまだ知らない。
例外ノードは、幽霊そのもの——触れられるのに、属せない十三番目。そして閉じない円はここでは遊隙である。十二の殻は決してかたく閉じない。配置はひとつに定まらず、すべっては組みかわる。閉じないから、うごける。うごけるから、こわれない。